桐生織物の歴史<年表>

mon・eは群馬県の東部に位置する桐生市で生まれました。桐生市は1300年の歴史をもつ織物の街で、織物以外にニット、編み製品の生産や、刺繍、縫製、染色加工が盛んに行われている繊維産業の街です。桐生市の伝統産業である桐生織物の歴史をご紹介致します。

西暦 元号 出来ごと
714 和銅7 「あしぎぬ」を朝廷に献上(続日本紀より)
1333 元弘3 新田義貞の軍旗に仁田山紬を使用
1548 天文17 13代将軍足利義輝の侍女から仁田山紬・生絹等の注文書が出される
1590 天正18 桐生領より徳川家康に旗絹を献上
1600 慶長5 関ヶ原合戦の折、桐生領54ケ村より徳川方に旗絹2,410疋を献上
1605 慶長10 天満宮境内に絹市が開催される
1646 正保3 桐生絹市が始まる(定期市)
桐生地方の旗絹の上納(税金)が金納になる
1684 貞享元 絹買次商書上家は江戸、京都と取引を開始する
1722 享保7 越後屋桐生店が開業
1733 享保18 京都の染師太郎兵衛が桐生に紅染めを伝える
1738 元文3 西陣の織物師中村弥兵衛・井筒屋吉兵衛が空引き装置を備えた高機技術を伝える
1743 寛保3 中村弥兵衛、西陣の佐兵衛より縮緬(ちりめん)を教授され製造
1744 延享元 西陣の機屋仲間が桐生の新規紋織物の差し止めを幕府に請願
1763 宝暦13 桐生新町新居峯章が紋絽織を製織
1783 天明3 岩瀬吉兵衛が水車動力の八丁撚糸機を考案する
1838 天保9 金子善衛門、縞縮緬を造り将軍家斉に献上する
これから「お召」の名が生まれる
1851 嘉永4 お召縮緬仲間成立。お召の月産12000反を数える
1863 文久3 関口周平、三島俊良が西洋染料でお召縮緬の緯(よこ)糸を染色
1864 元治元 小野里喜左衛門ハンカチを輸出
1865 慶應元 江原貞蔵、横浜に絹物店を開き輸出の基礎をつくる
1875 明治8 桐生では絹綿交織物が最も多く生産される
1877 明治10 森山芳平・星野伝七郎・園田倉十郎が荒木ジャカードを購入
後藤定吉、楊柳縮緬を製織する
1878 明治11 星野伝七郎フランス向紋縮緬を製造
1879 明治12 桑原佐吉、小野里商店の依頼で輸出向け羽二重を創製
森山芳平、科学染色法を学び舎蜜染と宣伝販売する
後藤定吉、観光繻子を製織する
1885 明治18 成愛社で輸入ボイラーによる織物整理を開始する
1886 明治19 佐羽喜六が外国製ジャカード・ピアノマシンを輸入する
1887 明治20 横山嘉兵衛、米仏折衷ジャカードを考案し木製ジャカードを作る
日本織物株式会社設立
1888 明治21 藤生佐吉郎・高力直寛が木製紋彫機を製作する
1891 明治24 日本織物会社の水力発電により県内初の電灯が灯る
1896 明治29 飯塚春太郎輸出向きタフタを製造
桐生織物学校開校
1898 明治31 横山嘉兵衛、毛織物東コートを製織
桐生織物同業組合設立
豊田佐吉、力織機製造
1902 明治35 桐生撚糸合資会社が設立総会
1907 明治40 堀祐平が人絹糸を使用したリボン織りを初めて製織する
笠原嘉吉、絹綿交織単帯を製織
1911 明治44 村田兵作が半木製力織機を製造
1916 大正5 飯塚春太郎オーストラリア向けスパン・クレープを製織する
1921 大正10 飯塚・加藤・松本が人絹糸を交織した女帯を製造する
1929 昭和4 石北政男が絹人絹交織お召を製織
1937 昭和12 桐生織物の生産額、人絹織物の隆盛で最大の産額を記録
1948 昭和23 レーヨンマフラー戦後初めてアフリカに輸出
以降、民族衣装用ダマスク紋繻子、房付紋マフラー、金糸紋裏切り、ジョーゼット等の輸出が盛んになる
1955 昭和30 婦人服地の生産始まる
1962 昭和37 全国織物競技大会で業界初の三部門で団体優勝
1973 昭和48 輸出織物激減によりインテリア・資材関連に生産転換を図る
ウィーン万博に出品する
1976 昭和51 超自動織機(レピア)が織物の主流となる
1977 昭和52 「桐生織」伝統的工芸品に指定
1984 昭和59 ダイレクト・ジャカード(コンピューター制御)設置始まる
1987 昭和62 業界一本化により桐生織物協同組合設立
1994 平成6 群馬県ふるさと伝統工芸品に「桐生織物」が指定される
1997 平成9 桐生織物会館旧館(現・桐生織物記念館)が、国の登録有形文化財に指定される
2002 平成14 織物工場の「のこぎり屋根」シンポジュームを開催
2008 平成20 「桐生織」が地域団体商標に登録される
2014 平成26 続日本記への記載の年から1300年
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